日本の金貨のデザイン

新たな貨幣の発行

明治政府は、それまでの小判・分金・穴銭などの貨幣に変えて近代的な様式貨幣を発行すべく、香港および英国から鋳造機を導入しました。

明治3年(1870年)11月27日、最初は銀貨の鋳造、明治4年(1871年)8月から金貨が発行されました。

図柄などは、彫金師・加納夏雄の優れた龍のデザインと彫刻が採用されました。

旧1円金貨」は日本の本位貨幣(原貨)で、昭和63年(1988年)3月31日で廃止されるまで通貨として通用できました。

旧金貨(明治4年(1871年)新貨条令制定により発行)

表面 天皇を象徴する龍
裏面 中央に日章と稜鏡(りょうきょう)およびそれを取り囲む菊と桐の枝飾

上下に「十六弁八重表菊紋」・「五七桐花紋」

左右に日月を描いた錦の御旗

額面 20円・10円・5円・2円・1円

明治30年(1897年)貨幣法により、それぞれ2倍に通用

(各量目(重さ)が明治30年発行の「新金貨」の2倍であるため)

新金貨(明治30年(1897年)3月貨幣法制定により発行)

表面 菊紋・菊・桐の枝飾・銘価の組み合わせ
裏面 日章・八稜鏡(はちりょうきょう)
額面 20円・10円・5円

硬貨の裏表

硬貨のウラ・オモテについては、造幣局の内規により、

  • 旧金貨は「龍図」が表
  • 新金貨は「日章」が裏

と決められました。

加納夏雄(かのうなつお)

加納夏雄(1828年(文政11年)~1898年(明治31年))は、幕末・明治の金工家・彫刻師で、明治金貨の「龍」のデザインと彫刻をした人物です。

京都生まれ、旧姓は伏見氏、7歳で刀剣商・加納家の養子となりました。池田孝寿(たかとし)に金工を学び、のちに江戸に移って独自の作風を創始します。

明治2年(1869年)、明治新政府の「新貨条令」(明治4年(1871年)5月公布)による新貨幣製作にあたり、その意匠・̪試鋳・極印の製造を命ぜられ、明治5年(1872年)に造幣寮に出仕し、明治10年(1877年)まで従事しました。

加納夏雄が原図の龍図は「明治銀貨」にも採用されています。

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