加納夏雄<新金貨をデザインした金工家・彫刻師>

加納夏雄(かのうなつお)

加納夏雄(文政11年(1828年)~明治31年(1898年))は、幕末・明治の金工家・彫刻師で、明治金貨の「龍」のデザインと彫刻を行いました。

天才金工師・加納夏雄の生い立ち

加納夏雄は、文政11年(1828年)、京都に生まれました。

旧姓は伏見氏でしたが、7歳で刀剣商・加納治助(かのうはるすけ)の養子となり、刀剣の鍔や柄の美しさに衝撃を受けます。

養父母の勧めで12歳のころから彫刻師・奥村庄八(おくむらしょうはち)のもとで線彫り、象嵌などの彫刻技術を学びました。

13歳のときに、大月派の池田孝寿(いけだたかとし)に金工を学び、生来の手先の器用さにより早くから金工師としての才能を発揮し、14歳では、円山四条派の絵師・中島来章(なかじまらいしょう)に師事し、写実絵画を極めました。

そして弘化3年(1846年)、19歳という若さで独立し、さらにその6年後には江戸に移って独自の作風を創始しました。

金貨のデザイン

明治2年(1869年)、明治新政府の「新貨条令」(明治4年(1871年)5月公布)による新貨幣製作にあたり、その意匠・̪試鋳・極印の製造を命ぜられ、明治5年(1872年)に造幣寮に出仕し、明治10年(1877年)まで従事しました。

当初、新貨幣となる金貨(旧金貨)はイギリス人が原型を作る予定でした。しかし、加納のデザインを見たイギリス人技師が、その完成度の高さから辞退したといわれています。

その結果、新貨幣はデザインから型の制作まで、全て加納に一任されることになりました。

ちなみに、加納夏雄原図の龍図は「明治銀貨」にも採用されています。

加納夏雄の人気

明治9年(1876年)、廃刀令の交付により、多くの金工師が廃業に追い込まれました。

しかしそんな中、加納夏雄には、煙草入れや根付(ねつけ、小物入れなどをつるす際に使用する留め具)など、注文が途切れることがありませんでした。

また、加納の作品は海外でも人気を博し、その名は世界中に知られることになりました。

加納のその後

明治23年(1890年)、第三回内国勧業博覧会で百鶴図花瓶が一等妙技賞を受賞します。

そして、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の教授に就任しました。

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