正倉院「銀壺」国産で、幻の銀銭「太平元宝」が素材の可能性

正倉院「銀壺」に関する新説が発表

平成29年(2017年)4月20日、正倉院(奈良市)に伝わる金属器の中で最大の容器「銀壺(ぎんこ)」2点について、大胆な新説が発表されました。

正倉院に伝わる「銀壺」

正倉院には銀壺(ぎんこ)が2点伝わっており、銀壺をのせるための銀の台もセットで伝わっています。

銀壺の高さは41~43cm、最大径は61~62cmで、現存していない「ふた」も合わせると、重さは約50kgだったと言われています。

銀壺の表面には、シカやイノシシなどを馬に乗って狩る人物が多数描かれています。

器の形は、僧侶が托鉢(たくはつ)に使うようなものです。

この銀壺2点は従来、中国・唐製で遣唐使が持ち帰ったと考えられていました。

正倉院「銀壺」は国産だった?

銀壺に関する新説が正倉院紀要第39号に掲載され、宮内庁正倉院事務所が平成29年(2017年)4月20日に発表しました。

新説を提唱したのは、奈良国立博物館の吉沢悟列品室長で、銀壺が唐製ではなく国産であるというものです。

吉沢室長によると、まず表面に描かれた狩猟の表現に違いが見受けられるそうです。

唐の製品は狩猟の表現が豊富で精巧ですが、正倉院に伝わる銀壺では同じ人物の使い回しや反転が確認できます。

また、模様の彫り方も唐では一般的ではない技法が用いられており、僧侶が托鉢に使うような器の形も唐には類例がありません。

以上から、正倉院の「銀壺」は国産の可能性が高いと判断されました。

幻の銀銭「太平元宝」は銀壺の素材になった?

銀壺の素材に関しても大胆な推測がされています。

素材に使われたのは、幻の銀銭である「太平元宝」なのではないか、というものです。

太平元宝(たいへいげんぽう)は、現存が確認されていない幻の銀銭です。

鋳造にかかわったのは、奈良時代の権力者・藤原仲麻呂です。

吉沢室長は、太平元宝が仲麻呂の失脚後に回収され巨大な器の素材になったのではないかと推測しています。

銀壺は孝謙上皇(こうけんじょうこう)(称徳天皇)が奉納したといわれており、孝謙上皇は藤原仲麻呂の業績を徹底的に消したという記録が残っています。

そのこともこの推測を裏付ける証拠の一つとなっています。

研究が進むことで、幻の銀銭「太平元宝」の行方が明らかになるかもしれません。

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