太平元宝(たいへいげんぽう)<現物が行方不明の幻の銀銭>

太平元宝(たいへいげんぽう)とは?

「太平元宝」は古代日本で発行されたといわれる銀銭です。円形に方孔(四角い穴)が開いた形状をしています。

奈良時代の権力者・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が鋳造に関わったとされています。

日本の古代に発行された銀銭としては、和銅元年(708年)に発行された「和同開珎」に次いで2度目で、以降、古代での銀銭発行はありません。

続日本紀(しょくにほんぎ)の記録

「続日本紀(しょくにほんぎ)」天平宝字4年(760年)3月16日の条に、私鋳銭(私的に偽造された銭)が多いため「萬年通宝(銅銭)」「太平元宝(銀銭)」「開基勝宝(金銭)」を新たに鋳造したことが記されています。

銅銭10を銀銭1に、銀銭10を金銭1にあてたと言われています。つまり、開基勝宝1枚は萬年通宝100枚分に相当します。

現物の行方が分からない「幻の銀銭」

太平元宝は、京阪地方の古物商で取引されたと記録される1枚と、昭和3年(1928年)に唐招提寺(とうしょうだいじ)で発見されたものの拓本が残っています。

しかし、この2枚の現物は、現在行方が分かっていません。そして、これ以外に発見の記録は残っていません。

このように太平元宝は続日本紀に記録されているものの、現物が発見されていません。このことが「幻の銀銭」と呼ばれる所以となっています。

しかし、開基勝宝、萬年通宝が現存していることから、太平元宝も発行されたことは間違いないと考えられています。

太平元宝はどこへ行ったのか?

平成29年(2017年)、奈良国立博物館学芸部の吉沢悟(よしざわさとる)列品室長が太平元宝に関する新説を提唱しました。

それは、正倉院南倉に伝わる二口の巨大な銀の壺に使用された銀150kgこそが「太平元宝」なのではないか、という説です。

この説の対象になっている銀壺は、孝謙上皇(こうけんじょうこう)(称徳天皇)が奉納したとされている壺で、確かに孝謙上皇は藤原仲麻呂の業績を徹底的に消したという記録が残っています。

幻の銀銭「太平元宝」の行方は、今後の研究により明らかになるかもしれません。

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