和同開珎(わどうかいちん)とは?
「和同開珎」は日本最古の流通貨幣で、「皇朝十二銭」の第一番目にあたります。
写真
写真は「日本の貨幣コレクション」のレプリカです。
<表面>
<裏面>
基本情報
鋳造期間 | 和銅元年(708年)~不明 |
直径 | 約24mm |
重さ | 約3.75g |
当時の価値 | 米4合 |
現在の取引額 | 18万円~550万円 |
日本最古の流通貨幣
「和同開珎」は、和銅元年(708年)に製造・発行された、日本最古の流通貨幣です。
1960年代から平城京跡で見つかっている「富本銭」が683年ごろの製造と推定されているため、こちらが日本最古の流通貨幣ではないかという説もあります。しかし、富本銭が実際に流通していたことが解明されていません。
また、667年から672年に発行された「無文銀銭」が日本最古の流通貨幣だったという説もありますが、これは公的な貨幣ではなく、個人が作った私鋳銀貨でした。
このように和同開珎より前に作られた貨幣も見つかっていますが、実際に流通していたことが解明されていないため、現在も和同開珎が日本最古の流通貨幣とされています。
和同開珎の発行
和同開珎は、621年に発行された唐銭「開元通宝(かいげんつうほう)」を手本に作られました。開元通宝は、遣唐使によって中国から持ち帰られた貨幣です。
和同開珎は「大宝律令の制定」と「銅の産出」により、発行されたとされています。
大宝律令の制定
日本は7世紀後半、中国にならって律令制を導入しました。律令制とは、律令(法体系の一種で、刑法や行政法などを文章で制定しているもの)を基本法とする政治体制のことです。
そして、日本史上最初の本格的律令法典となったのが「大宝律令(たいほうりつりょう)」です。
大宝律令は大宝元年(701年)に制定され、それにより貨幣の発行も決定しました。
銅の産出
慶雲5年(708年)の1月、武蔵国秩父郡(現・埼玉県秩父市)で純度の高い自然銅が大量に産出しました。これを記念して、年号が「和銅」に改められました。
このことがきっかけで、和同開珎が製造されることになったといわれています。
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和同開珎の種類
和同開珎は銀銭・銅銭が作られており、その他にも改良による変化があります。
古和同
和銅元年(709年)5月、最初に発行された和同開珎は銀銭でした。それは、銅に比べて銀の方が鋳造が容易だったためです。
「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、銅銭の和同開珎の製造が7月から始まり、8月に発行されたそうです。この銅銭の発行により、銀銭の和同開珎はわずか3か月で廃止されたといわれています。
これらの銀銭・銅銭の和同開珎は「古和同」と呼ばれています。
銅の純度が高く、厚手で作りが拙いのが古和同の特徴とされています。
新和同
養老4年(720年)、改良型の和同開珎が製造されました。
これが「新和同」です。
新和同は銅銭のみが発見されており、薄手で精密なのが特徴とされています。
また古和同と比べ、新和同の方が出土数が圧倒的に多く、取引価格を比較すると、古和同の方が高くなることが多いです。
「かいちん」と「かいほう」
和同開珎の読みが「わどうかいちん」か「わどうかいほう」か、江戸時代後半から150年以上も論争されています。
最近は「わどうかいちん」の読み方が主流となっています。
「珎」は「珍」なのか「宝(寶)」なのか
和同開珎の読み方が分かれるのは、「珎」の字に原因があります。
「珎」を「珍」の異字体とみると「わどうかいちん」と読むことが出来ますが、「珎」を「宝(寶)」の異字体とみると「わどうかいほう」と読むことが出来ます。
この「珎」の字の見解の相違が、読みを二分する原因となっています。
古銭情報局内・関連
古銭図書館
- 開基勝寶(かいきしょうほう)<日本最古の金貨>
- 日本最古に金貨に関する記事です。
- 皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)<日本で鋳造された12種類の銅銭>
古銭ニュース
- 日本の貨幣コレクション<レプリカ付き>創刊!
- 写真のレプリカは日本の貨幣コレクションのものです。